昔は、「他の米とブレンドするなら買ってもいい」と言ってたくせに(笑)。
最初から「こういう米をつくってほしい」と 言ってきたカツヤさんにしか、ウチは出さん、と いつも言うてやるんだがね(笑)。
- 農家 中川満荘(なかがわ まんそう)さん
- 農業歴38年の中川さんは、とにかく農業を愛している人だ。「今、わしの田んぼには、たくさんの虫がいる。クモやらヤヨやら、な。それだけ環境がええ、ということやけど、そういうのを見とると、楽しいわな」。仕事をいつも面白がっている父の姿を見て育った中川さんの長男は、まるで当然のように、農業を仕事として選択した。農家の後継者不足解消のヒントは、どうもこのあたりにありそうだ。
もう10年以上も前。中川さんは、「複合汚染」という本を読んでいる。環境汚染を告発した、当時の大ベストセラーだ。そしてその中で、農薬の人体にどんな害を与えているのか、を中川さんは学んだ。
「こんなものを食べ物に使っていたのか。恐ろしいことだ」。
「虫が死ぬ、草が死ぬ薬を稲にやって、身体にいいわけがないんだ」。
そんな中、中川さんは勝矢博(カツヤ代表取締役)と出会う。
「身体にいいコシヒカリを売りたい」という勝矢の想いは、農薬の恐ろしさに気がついていた中川さんの気持ちを揺るがした。無農薬で米をつくろうと思えば、例えば化学肥料ではなく堆肥をつかって、土を元気にしてやる必要がある。そのために、牛糞をしっかりと発酵させた堆肥をつくらねばならない。化学肥料よりも、はるかに手間がかかる。
また、時には、会社を休んで(中川さんは兼業農家) 一日中草取りをしなければならない。そんな労働量のわりには、収量も安定しない。
しかし、例えば「孫にアトピーができて可哀相な」という声を聞けば、やっぱり安全な米を食べさせてやりたい。何より、もうこれ以上農薬は使いたくない。そういう想いが、中川さんを突き動した。そして、有機・無農薬米栽培の、大和町における先駆けとなったのだ。
「最初はやっぱり不安もあった。でも、手をかけてやれば、それだけのことを返してくれるのが、稲という植物。最初こそ収量も落ちたが、その後は順調だったね。そしたら、『なんだ、農薬を使わんでもええじゃないか』ということになった」。
万田酵素を使うなど、様々な工夫を折り込みながら、中川さんの有機・無農薬米づくりは続いた。米だけではない。牛にも無農薬のわらや草を与えることで、その堆肥も「健康=無農薬」化し、それによってますます有機農法の効果が現れるようになった。それだけでなく、牛そのものにも高い評価を得られるようになったものだ。
中川さんは、こうして作った有機米を、当初農協(JA)にも出そうと考えていた。しかし、JA側は「おたくの米だけを特別に『有機米』として扱うわけにはいかない」と言う。しかし、中川さんは、それをよしとはしなかった。他の米とは、つくり方も手間のかけ方も、そして味も違う。それなのに、他の米とブレンドされたのでは、何の意味もない。
「今になって、有機・無農薬米でないと売れない時代だから、とJAが『ウチに出荷しろ』と言ってくる。でも、『ウチはカツヤさんにしか出さんのじゃ』、と言うてやるんよ(笑)」。
「もっと高い価格で買いたいと言うてくる業者は、いくらでもある。でも、安定した量を安定した価格で買ってくれるカツヤさんと、付き合っていきたい。長い日で見れば、そっちの方がいい、と私は思うよ」。
「これからは、農家も自分がつくるものに責任を持つ時代。自分の米に自信がなければ売れない時代よ」。そう語る中川さんの顔には、余裕の笑みが浮かんでいた。