カツヤの「ます」の歴史

カツヤの「ます」の歴史
カツヤのマークは
「ます」で
米を計る所を
デザインしたものです。
二個の
「ます」の上の樺は
「とかき」と言い、
米を平らに
かきならす棒です。
左のますは
社員と会社、
右のますは
お客様と社会を表わし、
共に利益を分かち、
喜こびを
共有したいという
カツヤの願いが
込められています。
節分の豆を
木の「ます」にいれて
まくのはなぜか、
ご存知でしたか。
エビス様や
大黒様といった
福の神様へも
「ます」に入れた
穀物を供えます。
これは「ます」が
生命のかてである穀物の
霊を宿し、
増殖にさせると信じた
昔の人々の信仰の名残り
なのだそうです。
カツヤの両方の「ます」にも
福がいっぱい
さずかりますよう。
カツヤの「ます」の歴史
カツヤの「ます」の歴史
「ます」の歴史は
弥生時代に始まり、
さまざまに変化し、
現在の型になったのは
戦国時代。
京に登った信長が
経済を掌握するために指定し、
秀吉が太閤検地で
全国に広めました。
家康はこれを
幕府の専売品とし、
使用を義務づけたと言います。
まさに、「ます」は
国づくりの原点だった訳です。
日本一お客様に
支持される会社を目指す
カツヤの「ます」は
天下をとれるでしょうか?
徳川幕府のますの統一を
ガンとしてはねつけた地方が
ありました。
甲斐の国です。
ますは家臣への扶持米(ふちまい)を
支給するためにも
使われていましたから、
信玄公の遺制と称し、
拒み続けたのでした。
ついに幕府も
公定ますの一種として認め、
明治に至まで
甲州ますとして
使用されました。
武田武士の面目躍如。
ますは商人だけでなく
武士の精神(こころ)でもあったのでした。
カツヤの「ます」の歴史
カツヤの「ます」の歴史
カツヤのマーク「ます」。
この語源には
いろいろな説がありますが、
「升(ます)」「斗(と)」「斛(こく)」と
倍増してゆくので
増(ます)からきたという
有力説をうれしく
頂だいしたいと思います。
出世魚のように、
「ます」も出世するとは
縁起がよい、と皆様にも
喜んでいただける会社で
あり続けたいと。
今、カツヤには
「ます」の出番はありません。
米はすべて
重量で表示されるからです。
では、なぜ会社のマークが
「ます」なのか。
それは、
「ます」の持つ柔軟性、
もっと言えばあいまいさ、
だからこそ
使う側に要求される
直感力、包容力といったものに
現代の企業の
あり様を見るからです。
「ます」は
時代を汲み上げる
心と頭脳を磨けよと
教えてくれているような
気がするのです。
カツヤの「ます」の歴史
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